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水谷IT支援事務所TOP > 執筆(Web) > 2004年5月その2

ローマ字か英語か喧嘩からスタートしたネット文化

インターネットと聞くと、皆さん何を連想されますか?電子メール、それともホームページでしょうか?ずっと昔からホームページがあったような感覚がありますが、まだまだ新しい技術で、登場してから10年ほどしか経っておりません。

ホームページは1989年に登場

ティムバーナーズリー博士がジュネーブにあるCERN(欧州素粒子原子核研究所)でホームページの基本となるWWW(ワールド・ワイド・ウェブ)という概念を提唱したのが1989年です。

研究所内のネットワークにワークステーションが接続されていましたが、OS等がバラバラでした。ヨーロッパ各地から色々な研究者が集まっており、別の研究者の論文をネットワーク経由で参照できましたが、それぞれのワークステーションのアクセスの仕方を覚える必要がありました。これを何とか統一する方法がないかと考えたのがWWWの発端です。

※ティムバーナーズリー博士はWWWを発明した栄誉をたたえ、2004年エリザベス女王からナイトの称号を授与されました。

ティムバーナーズリー博士のWWWを元に、現在のインターネット・エクスプロラーのようなテキストや画像が表示できるブラウザー(モザイクという名前でした)が登場し、普及し出したのが1993年で、10年ほど前です。これ以降、企業などがホームページを構築し始め、マスコミに「インターネット」という文字が登場するようになります。

実名文化からスタート

1984年に日本のインターネットの元祖であるJUNETがスタートした頃には、ホームページはまだありませんでした。当時は電子メールとネットニュースが主に使われていました。

ネットニュースというのは、電子掲示板です。各掲示板にはそれぞれテーマがあり、そのテーマに従って色々な議論が行われました。記事を投稿すると、それに対して意見や反論が行われます。

当時は実名を使う文化でした。ネットニュースの書き込みには実名をつけることがネチケットになっていました。実名で行いますので当然、責任ある発言となります。反論なども同様です。

JUNETへの参加者が技術者の研究会などで顔見知りが多く、たどっていくと知り合いの知り合いが参加しているような身近なネットワークだったという点もあります。  インターネットとパソコン通信のNifty-Serve(現在の@Nifty)やPC-VAN(現在のBIGLOVE)が相互接続され一気に利用者が増えましたが、この時は今まで同様に実名を使うべきだ、パソコン通信でよく使うハンドル名(ニックネーム)を容認すべきだと文化論争が起きました。今では考えられないような議論です。

さて、ネットニュースですが、JUNETの場合は各掲示板にfjで始まる名前がつけられました。

例) fj.joke ジュークに関する部屋  fj.book 本に関する話題

※ネットニュースを見たことがない方は検索エンジンのGoogleをブラウザーで表示させ、キーワードを入れる入力ボックスの上に「ウェブ」「イメージ」「グループ」と並んでいますので、「グループ」をクリックしてみてください。

立ち上がりは日本語が使えなかった

ネットワーク技術がアメリカ生まれだったことでJUNETが立ち上がった頃は日本語が使えませんでした。必然的にネットニュースやメールではアルファベットを使うことになります。 そこで巻き起こったのが文化論争です。英語を使うべきだ、いやローマ字だということで、毎日、議論がそれぞれの主張する英語もしくはローマ字で繰り広げられていました。

この頃、便利なツールが登場しました。参加している技術者がボランティアで作ったものです。「ローマ字仮名変換」ソフトで、現在のATOKやIMEと違い文字通り、ネットから受信したローマ字文章を仮名文章に変換してくれるツールでした。つまり「A I U」→「あ い う」と変換するソフトです。これだけでもずいぶん助かりました。

さて、そうやって論争していたある日、漢字が使えるようになりました。当時、東工大の学生だった橘浩志氏が1人で6000字の漢字フォントをすべて作ってネットで配布してくれたおかげです。

インターネットの世界では、こういうボランティアがたくさんいて、皆がGive&Takeの精神でネットワークを発展させていきました。さて漢字が扱えるようになった途端に文化論争は収束し、あっという間に皆、漢字に移行しました。

やがてインターネットとパソコン通信が接続され何百万というユーザーが一気に増えました。1992年に商用プロバイダーが登場し、またiモードの誕生などでインターネットは一般のモノになっていきます。

インターネットは顔見知りばかりの村のような世界からスタートしましたが、今や都会の歓楽街のように犯罪やウイルスに注意しないといけない世界となってしまいました。水や空気のような人類の共通財(コモングッズ)の一つとなった点もあり、インターネットありきでビジネスなどを考える時代になりました。しかし、根底に流れるGive&Takeの精神は今も変わりません。


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