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ITで地域は元気になる

ステップサーバ 日本”元気印”増産プロジェクトで2009年7月〜2010年3月に連載していたコラム記事です。


ITで地域は元気になる! No5お金が外から地域へ流れる仕組みを作る


134体の妖怪が出迎える町

「妖怪」から連想する町の名前と言えば?

水木しげるロード

答えは境港市。日本一人口が少ない鳥取県にある地方都市です。20年前までは全国の多くの商店街と同様、シャッター通りになっていました。このままでは商店街も町も駄目になると立ち上がったのが地域の人々。

境港市出身の漫画家が「ゲゲゲの鬼太郎」の水木しげる氏であることから協力を依頼。1989年から「水木しげるロード」を整備し始めました。1993年に23体の妖怪像からスタート。像が盗まれるなど事件もありましたが、事件が全国ニュースで報道され知名度アップに。今では、境港駅前から本町アーケードの約800mの間に134体の「ねずみ男」や「ネコ娘」など、おなじみの彫刻が並びます。これを目当てに観光客が年間200万人ちかく押し寄せるようになりました。

商店街ではTシャツやコーヒーカップなどに主要キャラクターを描いたお土産グッズを販売。商店街に人が集まるので、新たにお店を出したい人があらわれ、シャッター通りは賑やかな通りへ変貌していきます。地域に面白いコンテンツを用意できれば、自然と人が集まってビジネスになっていきます。

全国の鬼太郎ファンからお金を集める妖怪ファンド

境港市で次に用意しているのが来年春に売り出し予定のダルマ。ダルマと言っても選挙で使われるようなダルマではなく、10〜15cm程度の「ゲゲゲの鬼太郎」キャラクターをデザインしたダルマです。デザインは2006年「世界が尊敬する日本人100人」に選ばれたデザイナーの佐藤オオキ氏を擁するデザイン会社nendo。もちろん境港市の観光振興の一環ですが、それだけにおさまらない仕組みになっています。

ダルマはすべて職人による手作りです。つまり境港市だけでなくダルマ製造の産地も潤います。伝統産業の技術は職人が継承し、技術的にはすごいのですが、弱いのがマーケティング。何を作ったら売れるかが分からないため、産業ではなく伝統産業になってしまっています。そのデザインをnendoが担います。

このプロジェクトは個人から資金を集めた「妖怪ファンド」で実行されます。「妖怪ファンド」は境港市民や鬼太郎ファンの個人を対象に1口3〜5万円の小口で集めてファンドを形成しプロジェクトに投資します。境港のキラーコンテンツ「妖怪」を活用することで、地域だけでなく、全国の鬼太郎ファンからも資金を集めます。地域のお金が地域に循環するだけでなく地域外のお金も地域に集まり、地域の中に人・物・金の形でまわっていく仕組みです。

生産年齢人口が減り、地域活性化は待ったなし

今から100年前といえば司馬遼太郎『坂の上の雲』の舞台となった日露戦争の頃、日本人口は4,385万人でした。この100年間、人口が3倍に増えるという外部環境で全ての商売を行ってきました。すでに人口のピークは過ぎており減り始めています。

実は1995年、生産年齢人口(15〜64歳の人口)が先にピークを迎え、この10年間減り続けています。生産年齢人口が減ったためお酒が売れなくなりました。若者がお酒を飲まなくなった以上に人口減の影響が大きく、アサヒとサントリーが合併するのは縮小する国内市場ではなく海外へ出るための布石です。

生産年齢人口が減るということは生産に伴う所得税が減るということです。国も地域も税金が減っていきますので、地域は地域なりに工夫してお金を集めなければなりません。

農作業を外注して、しかも儲ける仕組みを作る

地域で高齢化がすすむと重労働である田んぼの世話ができなくなります。ただ、先祖伝来の田畑を自分の代で手放なすわけにもいきません。そこで農作業を外注するのですが、田植えを頼むと手間賃がかかります。田植えをするための種苗代もかかります。雑草を抜くのは自分でやるにしても稲刈りや脱穀を頼むとまたお金がかかります。結局、お米を作らずに買った方が安いことになり、ますます耕作放棄地が増えます。

南信州観光公社

この田植えなどの農作業を何とかできないかと考え知恵をしぼったのが飯田市です。飯田市では農家450戸を組織して農家に泊まる農家民泊の修学旅行を誘致しています。修学旅行生を市町村や地元企業などが出資して作った株式会社南信州観光公社が受け入れています。しっかりとしたホームページを作り、都会の中学校などから集客しています。

都会の中学生にとって、もちろん田植えは初めて。最初は田んぼに入るのもおぼつかない様子です。泥に足をとられキャーキャー言いながらやっていますが、さすがに若いのですぐに慣れて植えられるようになります。田んぼの中の色々な生き物が見ながら田植えを経験します。日本国中、機械植えが当たり前ですが、飯田市には今も手植えの田んぼが残ります。この田植えですが、農林業体験ということでしっかりお金を取っています。農家にとっては田植えの重労働から解放され、しかも潤う仕組みになっています。

飯田市では農家民宿という体験もできます。農家に宿泊しながら農作業を手伝う体験で、ヨーロッパではグリーンツーリズムと言っています。やったことがない薪割りなどを体験し、囲炉裏端を囲んで農家のおじいちゃんから話を聞きます。家族にとっては、また同じ話をしているわとなり、誰も聞いてくれませんが、中学生にとっては初めての話で興味津津。おじいちゃんにとっては家族が聞いてくれない話を毎回しても大丈夫です。

「田舎の人は純朴だ」と言っている時代ではありません。税金が減る中、しっかり地域へお金が落ちる仕組みを作らなければなりません。飯田市では農林業体験というコンテンツを整備し、都会から地域へお金が流れる仕組みを作りあげてきました。

しかも、この成功体験を伝えるための出張講演や視察受け入れによる有償研修プログラムを用意して、さらにお金が地域へ回る仕組みを作っているのは葉っぱビジネスの上勝町や伊賀のモクモクと同様です。田舎ならばこそ、したたかに稼ぐ仕組み作りが重要です。

No4地域活性化のカギは外へ出ること | No6ハードよりソフトで地域活性化
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