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日本のインターネットは誰が始めた?

村井純というお名前をご存知ですか?

携帯メール等、インターネットを使わない日はありませんが、この人がいなければ日本のインターネット普及はもっと遅れていたでしょう。 今から20年前になりますが、若き村井純が慶応大学の博士課程を終え東工大に就職しました。1984年といえば、ようやくパソコンというものが登場した頃で、コンピュータと言えばIBM等の大型汎用機がイメージされる時代でした。

メールをしたいから始まった。

村井純が東工大に就職しましたが、海外の研究仲間からのメールを読む手段がありません。また古巣の慶応大学から研究資料を持っていくのに膨大な磁気テープが必要でした。そこでまず東工大と慶応をネットワークでつなぐところから始めました。

当時は電話回線で通信する時代です。通信速度は現在の10万分の1ほどで通信速度が遅いため長時間つなぐ必要がありました。研究経費に通信費が計上できるような時代ではありませんでしたので大学の内線電話に目をつけ、電話回線をシュートさせてつなぎ放題にする方法を見つけます。つまり無料通信です。

実は法律のグレーゾーンのネットワークだった

電電公社からNTTになった、いわゆる「通信の自由化」が行われたのが1985年です。当時は学術目的であってもコンピュータと電話回線をつなぎメールを出すなどは法律違反のおそれがあると考えられた時期です。大体、そういうことを想定した法律になっていませんでした。(電話は話をするのに使うという前提で、昔はモデムを買うとNTTに送る届出書のようなものが入っていた時代がかなり続きました。)

そこで、アメリカから東大に戻った石田教授に話をもっていきます。最高峰の東大とつなげば法律的にグレーゾーンでも黙認になるだろうという考えです。石田教授も大学間でメールをやりとりしたいと思っていましたので渡りに船でした。

ついに東京工業大学、慶応大学、東京大学間を結ぶネットワークが1984年に誕生しました。「JUNET」と名づけられ、これが日本のインターネットの元祖になります。日本ユニバーシティー・ネットワーク等の略と言われましたが、皆、愛情をこめて「(村井)純・ネット」と呼んでおりました。アメリカでアーパネットが登場してから15年後になります。

でもお金がなかった

当時は国際機関ISOが定めたOSIというネットワークを国として採用していこうという動きがあり、草の根的で異端なJUNETに文部省から研究予算等はつきません。

そこで人脈などを駆使して、大学や企業に拡げるネットワーク作りをすることになります。私が以前に勤務していたITベンダーには東京と大阪間に専用線を持っていましたので、それを使わせてくれないかと専務に話があり、村井先生の言うことであればとJUNETに協力していました。

そんな調子で、色々な大学や企業がJUNETに接続されていきますが一筋縄ではいきませんでした。ネットワークの世界ですので企業の研究者やエンジニアの技術が必要でしたが、国費で運営される東大等を各企業とはつなげられないという雰囲気の時代でした。産学官共同研究という言葉ができるはるか以前の話です。そこで苦肉の策が考えられました。

東大に近い神保町にある岩波書店が当時、電子出版の共同研究を東大で行っていました。そこで岩波書店と東大を共同研究用にということで専用線接続します。各企業は岩波書店と専用線を接続しました。つまり岩波書店がハブとなり、日本最初のインターネット接続拠点(IX)が出来上がりました。

海外とつなげる

国内が接続され始めたら次は海外です。当時は、電電公社(現NTT)でも国際電話をかける時は上司の了解が必要な時代です。 KDDの若き技術者達がJUNETに賛同して海外との接続実験ということで接続を行います。上司から「我々のサービスをタダで提供するな」と詰問されましたが、技術者は「日本のネットワークの発展のためです。」と一歩もひかずに説得したそうです。

1985年1月にアメリカのCSネットに接続されました。そしてCSネット経由で欧米の研究者とメールのやりとりができることになり、村井純も海外の研究仲間から来るメールを読むことが出来るようになりました。

インターネットは「ギブ&ティク」の精神で

抵抗勢力などが多い中で日本のネットワーク環境を発展させたいと村井純を先頭に大学や企業の研究者達が熱き思いで作り上げてきたのが今の日本のインターネットです。

インターネットは国が与えたものでもなく、皆が草の根的にボランティアで作り上げたネットワークという社会的インフラです。ネット犯罪など問題もありますが、今も「ギブ&ティク」の精神がずっとインターネットで生きています。皆さんもぜひ情報発信をしてください。ネットワークの魅力はそこにあります。

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