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電子メールの@(アットマーク)は無かった?

日本でインターネットが始まった頃、現在とは雲泥の差の通信環境でした。電子メールを出すにも@(アットマーク)が使えず苦労した、そんな時代のお話です。

現在の15万部の1の通信スピード

日本のインターネットの草分けとなるJUNETがスタートした1984年頃のモデムと言えば大きな弁当箱のような形状をしていました。当時の通信速度は300bps(1秒間に送信できるbit数)、現在のADSLの通信速度は45Mbps(M「メガ」:10の6乗)ですので、この20年で約15万倍高速になっています。

見たことがない方も多いと思いますがモデムの代わりに音響カプラという製品がありました。パソコンに音響カプラをつなぎ、次に黒電話の受話器に音響カプラをはめこみます。音響カプラがパソコンのデジタル信号と黒電話の音声信号を相互変換します。音響カプラからよく「ピー、ビッー」と機械音が聞こえていました。当時と比べると現在のADSLモデムはインジケータが光るだけで本当に静かになりました。

1日1時間使うと月56,000円の通信料

通信料も高い時代でした。家庭からインターネットへ接続できるようになるのは1992年、日本発の商用プロバイダIIJが設立されてからですが、当時、電話線を使ってインターネット接続するには初期費用で3万円が必要でした。

また月額の基本料が2千円、1分あたり通信料が30円必要でした。その上、接続ポイントが東京、大阪だけで、自宅からアクセスポイントまでの市外料金が別途かかります。1日1時間使うと自宅の場所にもよりますが月に10万円は覚悟しないといけなかった時代です。

便利な電子メール、ただし遅かった

ひどい通信環境でしたが、ネットワークの魅力はそれ以上でした。特に便利なのが電子メールです。電話と違い、時間を気にせずに相手とやりとりが出来、郵便のように面倒でない新しいコミュニケーション・ツールの登場は衝撃的でした。ただし当時は、各ホスト間をバケツリレーのように電子メールが送られていくシステムで相手に届くまで時間がかかりました。

回線料金が高かった当時、専用線接続などは夢のまた夢で、1日に1回だけ隣につながっているホストに電話をかけモデム接続し、メールなどを交換するホストがほとんどでした。こうなると電子メールの中継に1日以上が必要ですので、郵便よりも遅かった時がよくありました。また夏休みで大学のホストが止まり、そこが中継点となっている場合は、夏休み明けにたまったメールがどっと流れてくることもありました。

海外への電子メールには@が使えなかった。

普段使っている電子メールアドレスですが下記のように「名前@ホスト名.種類.国名」が基本形になっています。

     xxxxxx@yyyyy.co.jp

ホームページを見る時なども同様ですが、yyyyy.co.jpというホストがインターネット上のどこにあるのかまず探す必要があります。

この作業は蕎麦屋の出前で配達する住所を聞いて、住宅地図で場所を確定するのとよく似ています。蕎麦屋の住宅地図を格納しているサーバーがインターネット上にあり、ホームページのURLやメールアドレスからホストがどこにあるか問い合わせをするとサーバーが住宅地図を見て場所を教えてくれます。この仕組みを使ってメールが送られ、ホームページを見ることができます。

さてJUNETがスタートした当時は国内でのネットワーク実験という位置づけでしたのでこの住宅地図は国内だけでした。やがて、KDDを介して海外との接続が可能となりましたが、当初アメリカの住宅地図とは接続されていませんでした。

つまりaaaaa@zzzzz.comとアメリカにあるホストのメールアドレスを書いても配達不能となります。

そこで海外に電子メールを出す場合は、メールが通っていく途中のホストを全て書きました。大阪から葉書を出すのに「東京都文京区湯島」と書くのでなく、「新大阪駅→東京駅→御徒町駅→湯島」と指定するようなものです。

実際にハワイ大学にいる友人に電子メールを出すのに、「大阪→東京→KDD→アメリカ西海岸の大学→ハワイ大学」とホスト名をつないで出しました。一つでもホスト名を間違うと届かない実に危ない電子メールです。実際は下記のようにホスト名を「!」でつないで宛先を指定します。

  friend!ハワイ大学!西海岸の大学!KDD!tokyo!osaka

友人から返事が返ってきた時はメールの内容よりもこんなにたくさんのホストをリレーされて、はるかハワイから届いたことに感激しました。そうこうするうちに各国ごとの住宅地図が相互接続され、海外へ出すメールも全て@が使えるようになりました。普段、皆さんが何気なく使っている@(アットマーク)ですが、こんな時代もあったのです。

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